2015年4月6日月曜日

感想|アメリカン・スナイパー


クリント・イーストウッド監督作品、「アメリカン・スナイパー」を観てきた。
「神は偉大なり」と祈りを捧げる声がこだまするのに合わせるようにM1エイブラムス戦車と歩兵たちが瓦礫の街を進む。テロリストを狩り出すために。屋上から携帯電話を片手に歩兵たちは一軒一軒のドアを蹴破りまわる。その歩兵たちを見つめる男をSEALSの狙撃手、クリス・カイル見逃さない。そして歩を進める兵士たちの前に少年とその母親が歩み寄る。母親は険しい顔をして、少年に対戦車グレネードを手渡す。少年は兵士たちの方へ駆け出していく。その様子をカイルはライフルスコープ越しに見つめる。引き金に指がかかる。そして。
冒頭の僅かな時間にも息が詰まる戦場の空気を感じる。

ステレオタイプな南部の保守的な父に育てられたカイルは世の中の人間は「羊」「狼」「牧羊犬」の3つしか居ない、か弱い羊たちを収奪する狼の手から守る牧羊犬たれ、と教えられ成長する。父親への返事にsir.をつけてるあたり、厳しい父だったのだろうなぁと思う。
30手前まで、牧場使用人の傍ら、弟と組んで週末はロデオに繰り出し、ずっと生まれ育った生活の中で暮らしてたのが、テレビのテロ報道を受けて義憤にかられて海軍に志願するっていうのはつい、なんて単純な人だろう、と思ってしまったけれど実際厳しい訓練の末に特殊部隊SEALSに入ってしまうんだからすごい。教官によるイビリはフルメタル・ジャケットの昔から変わらないんだなぁ。

戦場の狼に喰われかけたカイル。彼が殺しかけてしまった犬がコリーっていうことも意図されたものだと思う。先日観た「壬生義士伝」の中で、人斬りの集まりである新選組も京の町民から”壬生狼”と揶揄される。

カイルが生きていれば、この映画はどういう結末を迎えたのか。

ダラダラ問題を抱えながら砂漠の国を行く米軍。心身ともに傷ついて戻っても、銃に癒やしを求める傷痍軍人たち。彼らとの交流への献身にスポットを当てた感じになったのかなぁとか。

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